光に溺れ闇と踊れ

日々の怒りや嘆きを文章にしていきつつ、SHINEな国に抗う、そういうブログ

スシ・ポリスの魂は市場すしに受け継がれた

かつて、農水省が「最近、海外ではインチキなスシが出回っている。日本政府が『正しい日本式の寿司にお墨付きを与えよう』」というナショナリズムをやろうとしていた。それは、海外では「スシポリスだ」「(正しいモノ以外は排除するって)特高警察かよ」と散々批判されたのだが、当該の行為を通そうとした元大臣が詐欺事件で自殺し、それがお流れになった…という事件が昔起きた。
そして、その魂は市場すしに受け継がれたのだと思う。悪い意味で。

要約すると、大阪のチェーン寿司店にて、韓国人コミュニティの間で、このような差別が常態化している、という指摘があった。
・寿司職人が、韓国人・中国人観光客相手に民族差別/侮蔑発言を繰り返す(日本人と来た場合、あるいは日本語が流暢な韓国人・中国人が同席している場合はなし?しかし、一部の日本人にも同じように侮蔑発言をするとのこと)
・赤身を大トロだとだまして出した
・わさびを必要以上の量を入れ、追求されると「辛いものが好きだろう!」と開き直る

で、これに対してどう公式が対応したかというと

インターネット各所にてお騒がせ致しましたことをお詫び申し上げます。


マ ジ で 日 本
あのさ、これ何度も言うけれども「お騒がせ」「不快に思わせてしまい」だから批判している人は一人もいないわけで、もっと、別の、人権だとか人に対して嫌がらせをしたというそういうことをさ・・・。いやまあ、無理筋だというのは分かるけれども。

すしに多くのわさびを乗せていた件ですが、こちらはそのような事実がありました。
海外から来られたお客様からガリやわさびの増量の要望が非常に多いため事前確認なしにサービスとして提供したことが、
わさびなどが苦手なお客様に対して不愉快な思いをさせてしまう結果となってしまいました。


はいはい~~~不愉快~~~~マジックソワード~~~~!
それはサービスとは言わないでしょ。しかも、日本人/日本語が流暢な人がいる場合はそういうサービスはやらなかったんでしょ?明らかに、「日本語があまり分からない」という時に狙ってやっていたんでしょう?あと、Googleでのレビューは1年前からあったけれども、それは読んでいなかったのか?

スシ・ポリスは「間違ったスシを排除して正しい寿司にお墨付きを与える」みたいに、今回のこの店も「間違った客を排除し、笑ってネタにする」というのが常態化してしまったように思える。(そもそも、スシポリスに賛同していた人は当時は多く、『海外のインチキすし職人を成敗!』という趣旨の番組が、何回も続いているというひどい状態だしな…)

増量の要望が多い、というどうしようもない理由は、怒りよりも先に脱力してしまったよ。いや、たしかに辛いのが好きな人がいるのは事実だけれども、それは客が自分で掬わせればいいじゃない。選べるようにすればいいだけの話でしょう?実際に、説明もなく食べられないほど大量に食わせるというのは、サービスでも何でも無いだろ。嫌がらせ、差別以外の何者でもねえっつうの。

あと、人種差別/民族差別発言は完全になかったことにしていたので、おそらくまた同じことが起こる。それに関してはおそらく「もっと気が付かれないようにやれ」と社員教育されておしまいでしょう。それに、何もしなくても勝手に


「外国人向けにわさびが多いのは誤解!元から多いし、対応も大衆向けの店だからあれが普通!」


と援護してくる人が出てくるのも、政府が差別/民族侮蔑発言した時に来る援護と全く同じだよね。嫌になるくらいに同じだな!

何が言いたかったかというと、政府とか企業とか、上がこんな「誤解を与えてすいませんでした~」ということを(こちらの感覚が麻痺するくらいに)押し付けてきたので、「こういう対応をやっておけばいいだろう」と学んでしまった、だと思う。差別はなかった、じゃねえだろ。あった、だろ。あっても隠蔽しようとしています、だろう。

うな子問題はいかに統治者の思想を炙り出しているか

(昨日の続きです)
他の人のRT経由で回ってきた記事について話そうと思う。あまりにもトンチンカンな文章だった。さて、どこから始めればいいのか。気が重い。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/nakajimayoshifumi/20160928-00062647/

SNSが発達した現在、発信した情報が問題となり炎上やトラブルを巻き起こす事は珍しくない。一方で明らかにトンチンカンな批判がなされる事も多い。今回の動画に寄せられた批判は妥当なものだったのだろうか。ウェブメディア編集長として、表現という視点から考えてみたい。

今ならまだ引き返せる、辞めておけ!もう、これ以上しゃべるな!

いや、そりゃあBBCに「人種差別的だ」と批判された野党党首へのウソに基づく中傷など、人工的に発生した「偽の問題」はあるよ?でも、これを喩えるなら「奴隷主が奴隷に対して行った行為に『確かに、虐待があったかもしれない。しかし、一方で過剰な反応も多い。我々は良い待遇を与えてやっているし、批判は果たして妥当なものか?』と言うのに近いよね。支配している側の論理。

動画の設定は平凡ではないし、批判を黙らせようとする手法は行政と全く同じだ

美少女が男性と同居をする、一緒に生活をする、といった荒唐無稽な設定の作品はそれほど珍しくない。

出たよ、すり替え!現実と創作作品を混同しないで!しかも、「少女漫画でも国民的アニメでも同じような設定の作品、あるだろ」と主張は続く。

美少女や美少年に限らず、「非日常的な存在が日常生活に入り込む」といった水準まで設定を抽象化すると、誰もが知る国民的アニメの「ドラえもん」もコレに含まれる。

つまり、「創作作品によくありがちな設定だろ、目くじらを立てるようなことじゃない」、ということらしい。そもそも、トヨタドラえもんCMのヒドさ(あれが未だに放映されているという事実を含め)がどれだけ批判されているのか知らんのか、入浴シーンが海外でカットされていることも知らんのか、とツッコミが追いつかないくらいだ。

それに、「男性なら、美少年なら良かったのか」というのもナンセンスだ。ミラーリングしたところで、「養って」と言わせるものを作るのが論外でしかないから。だって、小さい個体のうちに一気に乱獲して、絶滅危惧種になるまで追い込んでも「他の国が乱獲したのが悪い!」と言うような国なんでしょ?そのような言葉が出てくる、というのは問題を理解するつもりもなく、何も考えていない(考えているならば、児童虐待にあたるような行為を推奨するわけないでしょう。)

そして、その後に続く文章も「批判するお前が悪い」「性的なものは世の中に溢れている、何が悪いのか」という「本当にひどいが、驚くべきものはない」という内容が続く。

結局この動画がこれだけ話題になって公開停止にまで至った理由は、第一に地方自治体という公的機関の作品に水着の女性が登場するという、ちょっとしたミスマッチ・サプライズにある。性的な作品であると強く非難する人もいるようだが、水着の女性は「実はこの人はウナギでした」という最後のネタバラシのインパクトを大きくするための前フリに過ぎない。

コンビニに並ぶ雑誌やインターネット上で水着のグラビアがごく普通に見られる現在、この動画はそこまで批判される程の内容だろうか、と言わざるを得ない。

いや、だから批判をしている。あなたは、何も考えずに電車やコンビニなど公共の場所にあるエロ雑誌、エロを連想させるような広告を「普通の風景」として受け止めている。それでも、見たくないんだよ。「女子大生のSEX!」とか「人妻が女になる!」とか「ロシア発!セーラー服の妖精!」とか「◯学生のロリ!」とか(適当に考えたタイトルだけれども、嫌になるほど溢れているんだよ…)。そうでなくても、裸体や女体が嫌になるほどに溢れている。それから逃げられないということ。

「(女は)そうであれ」というメッセージが常に送り続けられていること。

それは批判されないといけないし、国がそうだから批判しているし、動画も批判している。あなたの文章もだ。

※「水着の女性が出ているから批判しているんだろ、批判者は何でもいちゃもんをつけてくるのか?」という主張もあった。何を言っているのか。水着シーンを出すな、映像で水着を流すな、と言う人は(作者が想定している批判者を除いて)存在しない。案の定、差別・殺人扇動番組で男性コメンテーターがこの話題に触れていたのだが、「スカートを履くなというのか」という全く的外れなことを言っていた。誰もそんなことは言っていねえだろうが!!!!!!言って!!!!いねえ!!!!だろうが!!!!姑息なすり替えやめろ!

女体を広告でここまで性的に使ってきていることが批判されている。広告は、誰もが見るものだからだ。そして、これが批判されたのは公共な組織による広告で、身体が、人間が蹂躙されまくっているからだ。

※※あれがポルノ的ではない、ということにいたっては一体何が言いたいのだろうか?「男性が美少女を養いたい」ことに対し「怖いか不快」と書くのならば、何故批判者の反応をここまで小馬鹿にして、ここまで間違ったことが書けるのだろうか?

何故この文章は間違っているのか

もはや、この記事で合っているのアップロードされた日付と時間、「うなぎを食べようと思える内容にもなっていない。」くらいしかないけれども、このエントリには行政側の視点しか無い。一貫して「そう反応するお前のことが理解できない」「そう解釈するのはおかしい」「そこまで批判されるような内容なのか」というスタンスを取っている。だから、間違っている。それを間違えると全て間違える。

さらに、解決案として「完成度の高いものを出せば文句を言われなかった」と提示してくる。しかしながら、それは対応としても最悪なものだし、差別に対する反省も一切無い。

結局、この動画が問題となった理由は水着の女性が出ているかいないかといった点には無く、水着の女性をわざわざ出演させたことの必然性、自然な流れが描かれていないという部分で作品としての質が低かったからとしか言いようがない。圧倒的に質の高い内容であれば多少の批判・非難は跳ね返すことは出来たはずだ。

(中略)

出演している女性タレントも志布志市の自然を描いた映像も非常に綺麗で、あとほんの少しの配慮と作り込みがなされればこの動画は名作と言われる水準になっていた可能性もあったと思う。相当なコストがかかっているであろうことも考えると、何とももったいないとしか言いようがない。

どうだろうか?全て「作る側」の理論でしかないし、そこに女性は不在だ。これだけははっきり言っておくが、「水着の女性をわざわざ出演させたことの必然性、自然な流れがなかったから」と批判していた人は一人もいない。作者以外に。質が高い低い、という話も非常にありがちで安易な、すり替えにしかすぎない。金をかけようとかけまいと、あのような表現を送り出してしまった時点で、アウトだ。No means No、だ。

コストがかかって、さらには公共の場で公開するということは世界に開かれること。それゆえ、発するメッセージがどう受け取られるか?何を伝えたいのか?ということはきちんと注視されチェックされるべきだ。でも、そうは言わず、「くだらないこと(この場合は批判を受けたこと)で非公開にしたのがもったいない!少数派の圧力で封じ込められる前例を作ってしまった!」という、徹底的に、加害の側、決定権を持つ側の原理だった。おそらく、「(女性職員にも話を聞いたけれど)総合的な判断から公開を決めました」発言を聞いても、同じことを言っていただろう。

「質が高ければ批判されなかった」というのは「巧妙にやればいい」というものと地続きだ。「殺せ、と言うはのいけない。だが、法律を利用し合法的に殺すのならば応援する」「自分だったらもっと上手くやれる」という殺す側の思想につながっていく。だから、ものすごい危ういのだ。

終わりに

「批判をしてくるお前が悪い」「もっと上手くやれば良かった」という反応は蜥蜴の尻尾切りでしかない。それどころか、市の担当者の発言と今回のこの記事の言っていることが、全く同じように思える。いや、根本的に同じなのだろう、と思う。

この記事そのものは、あまり反応はなかった(他の記事に比べるとアクセス数は少なかった)のだが、作者はよほど持論に自信を持っているのか、(やはり)批判者を小馬鹿にした発言をしていた。

そもそも、「うな子動画が批判されベッキーの(日経に掲載された宝島社広告の)セミヌードが受け入れられるのは必要性があったからだ!」とぬかしていたけれども、いや、こっちだって批判しているよ。人手とリソース不足だから出来ないだけであってさ!あれも「(世間が想定する)懺悔のために脱がせて、結局女体を使っている」から、なんてことない、女性差別でしかないよ。あれも「より巧妙にやれば批判はされない」ということの強化にしかならない。

最後に、この記事に対するFacebookの投稿をもって締めたいと思う。

『ウナギだからエロくないんですよ、エロく見えましたかーがははは」みたいな言い訳は通用しないし、筆者が抽象化してトンチンカンという批判が、自治体の広報動画であるとトンチンカンではなくなってしまう。セクハラまがいの動画を自治体が垂れ流すべきではない。自治体はセクハラをなくすための活動をすべき組織なのだから。』

本当に対応も記事もひどすぎてマジ日本

う 嘘しか言わない対応
な 何様のつもりなのか、という対応
ぎ 義憤に駆られた一部の人が勝手にやった、と言うならばこちらも徹底抗戦する

こっちはそろそろ、別の性差別だとか差別だとか、いろいろな話をしたいのにそれをさせてくれない。そのため今日も書きます。

昨日、担当者が「一部勢力が勝手にやっただけのこと」と矮小してきたのですが、今度は年齢まで!持ち出してきた!底は見えない。

さて、本題に入る前に、一つ言いたいことがあります。経験がある人はわかると思いますが、電話での抗議というのはものすごく労力がいります。
メールの文書も同様です。

書いて送るだけじゃないか、と思われるかと思いますが、ものすごく、疲れます。アナウンサーの殺人を扇動する発言に対する抗議文をテレビ局に送った際も、ものすごく思い悩みました。というのも、フラッシュバックが何度も出てきてしまったり、書ける状態じゃないんだよね。

だから、今回の件で抗議を入れていただいた方には頭が上がらない思いだし、本当にありがとう。あれだけの行動力はないけれども、それを出来る限りはずっと支持していきたい。本当は、行動を起こしたいんだけれども、体調が安定しないもので。

さて、まずは担当者の発言から。

http://v.gendai.net/articles/view/news/190668

『(削除後に)「すると“面白かったのになぜ削除したのか?”“応援してます”というメールと電話が増え、擁護派が5割になりました。性差別の意図は毛頭ありませんが、全国の寄付者や県内の養鰻業者に配慮して削除した次第です」(前出の担当者)

 抗議の電話は全国からかかり、その9割が女性。声の感じから、多くが年配女性だったという。

まず、ここで「声の感じから」という憶測を出す必要性って何だ???
そもそも、都合のいい時だけ特定の性を持ち出す意図というのは、何なんだ???弁明としてひどいし、「時間を持て余している、判断もできないような、暇な高齢女が抗議してきた」というレッテル以外の何者でもないじゃないか。

この発言におけるひどさ、というのは各地で指摘された一方、記者の視点もかなりひどい、ということに気がついた。

最初は、担当者の発言だけを批判するつもりだったのですが。記者の書いたものも本当にひどかった。いや、これはひどいよ。

そもそも、「叙情的な映像にネットユーザーが噛み付いた」と記者自ら書いているのは何?批判的ですら無いよね。どちらの側にたっているか明確。

これ、記者の誘導が入っているとは思うけれどもさ、さっきの「年配女性~」をラストに持ってくるというのはひどいよ。だって、明確にその「年配女性」に全て責任をおっかぶせようとしているじゃないか。(そして、残念なことに効果はもう出てしまっている)
担当者の発言がひどい、という触れ込みで他の人が紹介していたけれども、この記事そのものも、本当にひどいよ。

記者がどちらの視点に立っているのか?というのは、無論市側だろう。だって、市の側にしかコメントを取りに行っていないから。東洋経済オンラインのJKビジネスの記事で、JKビジネスの元経営者にしか話を聞きに行っていない、というひどい取材記事があったのだが、それと同じ類のものだ。(スポーツ誌は、取材になっていない取材をする場所だ、ということは分かってはいるけれども、それでもひどい)

最悪だと思ったのがこの箇所。おそらく、動画を観ていないか、当該の動画を観ても何も思わないような人だったのだと思う。

少女の正体がヌルヌルしたうなぎのため、ペットボトルをつかもうとするが粘液ですべってしまうシーンもある。これも風俗店のローションを想像させるとケチをつけられたという。こういうのを言いたい放題というのだろう。

まず

  • 「性差別コンテンツ(公式)を何故公開したのか」
  • 「女性に性的イメージにする必要がどこにあったのか」
  • 「これを公共の場に広告として持ち出すことで反対があったのに、それを強行したのか」
  • 「養って、はねえだろ」

のは、すでに批判されているからね。(それについては他にいろいろ書かれているので割愛)むしろ、言いたい放題、というのは行政の対応の方でしょう?それと同じく、弾圧というのは「公権力が市民からの批判を潰そうとしてくる」ことであり、「市民が公権力を批判する」ということではないから。ようは、すり替えです。

確かに、市側・広告代理店の対応はあまりにもひどいものだったと思うけれども、それを許し、増長し続けてきたのは、性差別に対して「叙情的」と書き、さらには「抗議は判断ができないような人が勝手に抗議してきた」という印象を植え付けようとする媒体だからね?

明日は、本当にひどかった媒体の記事について、大投下します。まだまだ終わる様子がありません。(ちなみに、体調も悪化しつつあります)

知らない間に圧力団体になっていた話

はぁ~~~~~~~~~~・・・。
ああぁ~~~~~~~~~~~~・・・。
何でそうなるの~~~~~~~~~~~~~~・・・。
怒る気力すら失せてくる。マジで何なんだこれは。

何も期待していないとはいえ、そこまでやることはないじゃない。なあ!?

いや、あまりにもアホらしすぎて気をそらそうという向こうの作戦、ですらもないよね。マジでやっている。

本来は、

「何故海外メディアが『性差別的である』と書いているのに、日本だと『擬人化が騒動に』ということになってしまうのか?メディアもそれ(性差別)を増長させているのでは?」

だとか
「(性差別を)田舎だけを原因として切り捨てようとすることに問題がある。セクシズムは日本全体に、あまりにも溢れていて、見たくなくても見えてしまう」
そういうことを書く予定だったが、これにより変えざるを得なくなった。

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志布志市のうなぎ動画「UNAKO」の謝罪文が日本的(またか…)だった

あまりにも怒りがぶっちぎってしまったので、ブログをこのほど立ち上げました!ヨロシク!

さて、つい最近志布志市ふるさと納税PR動画「UNAKO」があまりにも全方面的にひどい、ということで最終的には当該の動画が非公開になりました。(でも、英字幕つきで転載されたので、あまり意味はなかったみたいですが)

気力が無い中絶対に抗議電話をしようと、思ったらこの対応で、しかも謝罪になっていない謝罪を読んでしまったので、ブチ切れモードです。数日後には文面が一部修正されていたり、あるいは削除されているかもしれないので、一旦引用と言う形で書いておきましょう。

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